九工大新聞コラム 廣瀬英雄 
2004年度3号 10/31/2004 

Globalに考えよう

 浅田農産船井農場鳥インフルエンザ問題。この事件は大きく報道されてもいるので記憶されていることと思う。私は今年の1年生前期の導入教育科目で学生の皆さんにこの問題についてレポートを書いてもらった。「自己中心的な判断」、「なんと無責任な社長」、など勧善懲悪的な正義感にあふれる明快な感想から、自分にあてはめて、「隠していたと思います。鶏の異常を届けるのは倒産宣言をするのと同じことであり、おそらく国民ほとんどの人が事実を隠すのではないであろうかと思います」、「怖くなって事件を隠してしまいたいと思うだろう」、という迷いの感想、そして「社長は自分や家族、社員のことは考えたけれども、鳥インフルエンザの鶏によって被害を受けるであろう人たちのことまでは考えておらず、技術者としての責任が足りないのではないかと思いました」という広い視野に立つ感想まで多岐に渡っていた。
 この問題に限らず、最近、三菱自動車リコール隠し、雪印食品の牛肉偽装、関西電力美浜原子力発電所事故など、似たような事件が報道されている。この根底にあるのは何であろうか。
 「間違ったことをしない」。これは、人間社会で最低限守られるような規範を人が作って言い表したものである。もっと広く言えば、「法の文言に従う」となる。しかし、いずれも境界を定めて「この範囲を逸脱していなければ」という発想を伴っている。今まではこれで通用したかもしれない。しかしこれからの時代、私企業など所属する組織のことだけを考えず、もっと積極的に広い視野の姿勢をとらなければ生き残っていけなくなるだろう。上の二つをこの観点から言い換えると「正しいことをする」、「法の精神に従う」となる[1]。
雪印の場合、事件後「雪印体質を変革する会」ができている[2]。『あの牛肉偽装事件をおこしてしまった人々は、「在庫を減らす」という仕事には忠実だった、でも自分の仕事がお客様にとってどのような「価値があるのか」を考えていなかったから「犯罪に手を下してしまった」。「在庫を減らす」という仕事の役割ではなく、「お客様にベストな状態の商品を届ける管理をする」という使命を、価値をもっていれば、あの事件は起きなかったのではないかと。振り返って、直接手をくださなかった私たち従業員も、自分の仕事の「役割」を超えて、「使命や価値」といった、もっと高い理念をもっているだろうかと自問しています。自分の仕事の「使命や価値」を見つけるためにも、お客様と本気で向き合い、自分で気づき、自分で行動することが求められているのではないか』この会では、価値観のシフトが起こっている。
 大学というところは組織で動くというより個人で動くところが多いので、組織的な大きな社会問題に直接接することは少なく、組織の問題を身近に感じることは少ないかもしれない。しかし、皆さんは就職してすぐに、課とか部とか事業所とか会社とかの組織の一員に組み込まれていく。会社に入れば組織間の競争が待っており、自分の組織の利益を最大にするように命令されるし、努力もするだろう。評価されるから。このとき、所属する組織のことを中心に考えると気がつかないままに大きな過ちの判断をしてしまう危険性がある。
 企業人だけとは限らない。人間は社会的な動物であるから人は大なり小なり組織に組み込まれていく。人は、自分を取り囲んでいる組織体の中で最も影響力が大きくなると考える最小の単位の組織体の立場で発言したり行動したりしがちになる。組織選択基準はいわばminmaxである。しかし、今個々人はglobalな基準や価値観で考えなければならない時代に入っているのではないだろうか。大学内でも、学科や学部からの視点で考えるのではなく、将来を担う若い世代とか、地球環境とか、そのようなもっと遠くを見据えた視点がより重要になってはこないだろうか。立場を超えて。
参考文献:
[1] リン・シャープ・ペイン著「バリューシフト」(毎日新聞社)
[2] http://www.yukijirushi.com/henkaku_kai.htm