九工大新聞コラム 廣瀬英雄 
2003年度1号 5/18/2003 

聴く耳

 何気なく発された言葉でも、また発した側の意図と受け取った側の解釈とがたとえ違っていたとしても、受け取った方には一生を左右するくらい大きな意味を持つ言葉がある。
 昨日、ある私の恩師(K先生)を偲ぶ会に参加したときのことである。列席者のお一人(Cさん)が次のようなお話をされた。Cさんは日本に留学中にK先生のご指導を受けた人である。K先生がある日、Cさんに「母国語でない言葉はいくら勉強してもその国の人にはかなわない」とおっしゃったそうである。普通なら、なぐさめの言葉と受け取ることができる。しかし、Cさんはこう受け取った。一生かけて精進しなければならない、と。
 Cさんは、私が大学4年生のときに一緒だったのでよく覚えている。まじめで、人柄がよさそうで、パチンコなども時たましていたが「出ないです」という調子で、いつもにこにこされていた。Cさんは、おそらくK先生の言われることをすべて糧にしようと常日頃から身構えておられたかもしれないし、K先生の言葉だけでなく、日本での経験のあらゆることを無駄にしないと気を引き締めておられたのかもしれない。
 自分の目標を持ち、それによって自分の生活態度を律し、自分の耳に入ってくる言葉の一つ一つを漏らさず刺激物として感じ取り、自分の経験と照らし合わせ、自分なりに解釈して心に留めておく。そのような態度があれば、些細な言葉でも大きな意味を持ち、その人を成長させる糧になる。要は聴く側の態度の問題である。聞き耳を立てる、ということである。
 皆さんには授業や交流によって刺激的な言葉が毎日飛び込んできているはずで、従って未知の事柄の発見に驚きを感じ、自分を豊かにしてくれる言葉に触れているはずなのである。皆さんはそのように感じながら毎日を送っているだろうか。「今日はこんな言葉に触れた。よし、今からこのように自分を変えよう」という気持ちになることがあるだろうか。自問して欲しい。
 実は、私もCさんと同じようにK先生からの言葉に大きな影響を受けた一人である。まだ企業に入って間もない頃、仕事がつまらないので転職を考えてK先生のところに相談に行った。20年位前である。「最近、弁当屋が流行っているそうだね」、これがそのときの言葉であった。重い言葉であった。そして次に、ある問題を解決してそれを持参してお会いしたとき、「これは論文になるよ」。
 さて、Cさんは、先の言葉を胸に刻んで今日まで努力されて来られたに違いない。今、Cさんは韓国のある大学の総長を務めておられる。